桃井春蔵

桃井春蔵(ももい しゅんぞう)1825年(文政8年)〜1885年(明治18年)12月8日

幕末の剣道家。

沼津藩水野家の臣・田中豊秋の子。

14歳で鏡新明智流の桃井道場に入門、17歳で剣の天分を認められ、桃井家の養子となった。

春蔵は同流派の4代目に当たり、その道場士学館は幕末の江戸で「位は桃井、技は千葉(周作)、力は斎藤(弥九郎)」と称され、剣術に備わる品位が高くかわれていた。一時期、土佐勤王党の武市瑞山が塾頭を務めたことでも有名。

春蔵は与力格200俵を給され幕府の士として召され、1861年(文久1年)には講武所の教授方に登用された。晩年は大阪で神官となった。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」,新潮社「新潮日本人名辞典」