厄年

厄年とは一生に三回通過する厄介な年である。細心の注意で過ごさねば、思いがけない災難に見舞われかけない。厄除け・厄払いは、それをなんとか逃れようとしてきた先人の知恵である。

厄年は江戸時代の農民生活のなかから起こったものだが、そもそもは貴族社会で行われた十二支占いに基づく厄年からきている。

中国から歴が伝えられてまもない奈良時代に、貴族たちの間で十二支占いが広まっていった。まず、生まれ年の十二支による性格診断が流行したが、それについで十二支によって年ごとに運勢の浮き沈みを知ろうとする占いが起こった。

そこから自分の生まれ年の十二支と同じ十二支がが巡ってくる年に、人生の転機が訪れること、また、そのさいに大きな不運に出会いがちであることが明らかになってきた。つまり、年男・年女になる年には用心せよということになる。それは十三歳。二十五歳・三十七歳・四十九歳・六十一歳・七十三歳・八十五歳である。貴族社会では、これらの年を厄年とするようになった。

このような厄年を忌む習慣は室町時代まで広くみられた。ところが、江戸時代になると占い師によって、十二支占いが庶民によって身近なものになる。それまで宮廷に仕えていた占い師が大坂・江戸などの大都会で庶民相手の占いをするようになったからだ。

そのため貴族社会で広まっていた十二年ごとの厄年が農村にも伝えられた。農民たちは、経験によって男では十三歳・三十七歳などの厄年には大した災厄には出遭わないとみなした。そりよりも農民生活の節目に当たる年に災厄に見舞われる者が多いのに気がついたのである。若者組から脱退する二十五歳、村落の神役の資格を得る四十二歳、頭屋(村の長老のようなもの)に加入できる六十一歳がそれであった。江戸時代の半ばから末にかけて、これらの年を用心してすごす風習が広まった。同様に女性も、農村生活のなかでの運勢の浮き沈みの観察から、十九歳、三十三歳、三十七歳が厄年とされた。

今日でもこれはそのまま受け継がれ、とくに数え年で男性の四十二歳女性の三十三歳は本厄とか大厄といわれもっとも凶運に出遭いやすい年だとされている。この本厄の前年を前厄、後の年を後厄といい、前厄・本厄・後厄の三年間は身を慎むべきだというのが先人の教えである。

ただし、厄年をむやみに恐れることはない

江戸時代の半ば頃まで厄年は「役年」と書いていた。それは神社に奉仕する神役を始めとするたいせつな役目をになわなければならない年という意味である。

集団生活のなかで責任ある立場になると無理をしてしまい、事故に遭ったり病気になったりしがちである。自分がこなしきれない期待を負わされたとき、人はつい不正に手を染めてしまうことがある。厄年には人生の重大事が持ち込まれることが多い。そのときの選択によって、その後の生き方がいい方向になるか悪い方向になるか決まることになる。こうしていつの間にか「役年」が災いに出遭いやすい「厄年」と解釈されるようになったのである。

厄年に当たったから必ず悪いことがあるとする考えは迷信にしかすぎない。厄年の前後に立派なことをやり遂げて社会的信用を得たうえに、なんの災厄にも遭わなかったっという人も多い。

厄年は人々に対してなにか役に立つ働きをしなければならない年だと考えて、むしろ積極的に活動すべきである。そして、その働きのために厄介ごとに巻き込まれないように、細心の注意を払って生活すればよい。

出典:講談社 武光誠編著「開運の手引き 日本のしきたり」