二条天皇

二条天皇(にじょうてんのう)1143年7月30日(康治2年6月17日)〜1165年9月5日(永万1年7月28日)

平安最期の天皇。

諱は守仁。後白河天皇と大納言藤原経実の娘で左大臣源有仁源有仁の猶子懿子(贈皇太后宮)との皇子。

久寿2(1155)年父後白河天皇の即位に伴い皇太子となったことが祖父崇徳上皇の怒りを誘い,保元の乱(1156)の導因となる。

保元3(1158)年即位。父の院政に対抗し,親政を行おうとして軋轢を深める。しかし病に冒され,永万1(1165)年6月幼い皇子六条天皇に譲位し,翌月崩御。争乱によって衰微していた歌壇を復興し,『族詞花和歌集』を編纂させる。

また,『平家物語』には二代后藤原多子の再入内を強要する,父に従わない天皇として登場する。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」