田中新兵衛(たなか しんべえ)1841年(天保12年)〜1863年7月11日(文久3年5月26日)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士。尊攘派の志士。薬種商の子とも船頭の子とも。安6(1859)年の尊攘派の同盟脱藩の時に船の用意を依頼されたというから後者か。
文久2(1862)年上洛,同年7月, 前関白九条尚忠の臣島田左近を殺害。京における天誅のはじめである。
翌3年5月, 姉小路公知暗殺事件があった。これの容疑がかけられ逮捕され,審問を受ける前に京都町奉行所内で切腹。真犯人は未だに不明。
この事件は司馬遼太郎の小説「人斬り」の素材のひとつになり、昭和44(1969)年五社英雄によって映画化されたとき,三島由紀夫が田中新兵衛役, 町奉行所内での切腹のシーンを演じた。
ちなみに,三島が切腹自殺したのは翌45年11月25日。
出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」