藤原道隆

藤原道隆(ふじわらのみちたか)953年(天暦9年)〜1020年11月3日(寛仁4年10月16日)

平安中期の公卿。中関白, 町尻殿と称される。

摂関兼家と藤原中正の娘時姫の嫡男。

寛和2(986)年権力を掌握した父の策により,非参議から権中納言を10日余り経験しただけで権大納言という異例の昇進をした。

正暦1(990)年,父から関白を譲られて氏長者となり,この年に一条天皇に入内した娘の定子が中宮に冊立された。

その後,次女の原子も東宮の居貞親王(のちの三条天皇)に入っている。

しかし中関白家の春も長くは続かなかった。病を得た道隆は嫡男の伊周を内覧として,関白を譲ろうと図ったが実現できず, 道隆の早死にが中関白家の失墜につながった。

死因は深酒による糖尿病といわれる。

上品で優美な容貌をしており気だてもよく,父の手になる法興院の一郭に積善寺を創建した。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」