小泉八雲(こいずみ やくも)1850年(嘉永3年6月27日)(太陽暦8年4月)〜1904年(明治37年9月26日)
新聞記者・教師・評論家・随筆家。
本名ラフカディオ=ハーン(ヘルン) Lafcadio Hearn ギリシア生。フランスのイヴトーにあるカトリック系の学校中退。イギリス人、のち、日本に帰化。アイルランド、フランスに育ち、20歳の時アメリカに渡り、職業を転々しながら文学修業、新聞記者となった。
ニューオリンズの「タイムス・デモクラット」時代は西欧文学の翻訳で、注目を集めた。当時の作品に『異文学遺聞』(一八四)がある。やがて日本文化に関心を持ち、「ハーパース・・マンスリー」特派員として、日本を訪れた。
時に明治23年4月。直ちに「ハーパース」は辞任、山陰の古都松江の中学校・師範学校の英語教師となり、さらに、旧藩士の娘小泉セツと結婚、日本文化の探求に向かうようになる。
翌24年から3年間、熊本の第五高等学校の教壇に立ち、27年から2年間、神戸の英字新聞「クロニクル」の記者生活を送る。
この間、九州・中国・近畿・四国などを旅行しつつ、日本への研究を深め、その成果『知られざる日本の面影』(明27) 『東方から』(明28)『心』 (明29)をアメリカで出版した。
29年2月、日本に帰化、小泉八雲を名乗るが、半年後には、東京帝大講師として英文学を担当する。
現代文学をも含む欧米文学の鑑賞・批評を中心とする、個性的・文学的なその講義は、学生たちに大きな影響を与え、36年辞職の際は留任運動が起こった(講義『文学鑑賞』『詩鑑賞』『人生と文学』(大6)は、没後にアメリカで出版)。
37年東京専門学校講師となり、『怪談』を発表したが、狭心症のため急逝、『神国日本』が絶筆となった。明治初期の外国人教師の一人として、日本及び日本人の真髄の全体的な研究・理解・紹介を目ざした最初の外国人として、その功績は大きい。
出典: 明治書院「日本現代文学大辞典」