源頼義

源頼義(みなもとのよりよし)988年(永延2年)〜1075年(承保2年)

平安後期の武将。

河内源氏の祖頼信の子。没年には異説がある。

一時期, 小一条院(敦明親王)に仕え都での生活を送ったが,地方での働きが大きい。

平忠常の乱(1028)では父に従って追討し,前九年の役(1051~62)では陸奥守兼鎮守府将軍として子義家と共に「俘囚」の長安倍頼時の反乱を長年月にわたる苦戦のすえ鎮定し,勇名をとどろかせた。このときの精鋭は父以来の,また自ら相模, 武蔵守などを務めた際結びつきを深めた坂東武士たちであった。

冷静沈着にして武略に長け将の器という評や武勇談は『陸奥話記』に詳しい。

父と共に11世紀中期に菩提寺通法寺(羽曳野市)を開く。国史跡に指定されたその寺跡に墓がある。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」