藤原実頼

藤原実頼(ふじわらのさねより)900年(昌泰3年)〜970624日(天禄1518日)

平安中期の公卿。

藤原忠平と宇多天皇の娘源順子の子。

右大臣, 左大臣を経て,康保4(967)年冷泉天皇の即位により関白太政大臣, 次いで安和2(969)年円融天皇の摂政となり,以後摂政, 関白が常置される先例となった。

ただしこの間, 外戚の地位を得た弟師輔の実力に脅かされ,「一(左大臣実頼のこと)くるしき二(右大臣師輔のこと)」などと噂された。惟喬親王の屋敷小野宮邸を購入したので小野宮殿と呼ばれ,以後この流れを小野宮家という。

背が低かったからか,強装束を用い,また塀に穴をあけて菓子(果物)を置き,そこに集まる人たちの雑談を聞いて世情を知ったという話は有名である(『富家語』)。家集『清慎公集』,日記『清慎公記』(『水心記』『小野宮殿記』とも)がある。

時平の娘との間に敦敏, 頼忠,斉敏をもうけ,斉敏の子実資を養子とした。娘慶子,述子は朱雀女御, 村上女御となった。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」