岡田以蔵

岡田以蔵(おかだ いぞう)1838年(天保9年)〜1865年6月4日(慶応1年)

幕末の志士。

土佐土佐郡生まれ。名は宜振。

1856年(安政3年)江戸で桃井春蔵に入門し剣術を学ぶ。

1860年(万延1年)、武市瑞山(武市半平太)に従って四国、中国、九州諸藩を剣術修行に回遊。

1861年(文久1年)、土佐勤王党に参加し翌年同士らと入京。

1862〜63年(文久2〜3年)薩摩の田中新兵衛らと天誅行動の急先鋒となり、多くの暗殺事件に関係した。なかには吉田東洋暗殺犯人探索で上京した井上佐一郎惨殺もあり、「人斬り以蔵」の異名を得た。

1864年(元治1年)無宿人鉄蔵として土佐へ護送され、拷問に耐えかね井上佐一郎殺しを自白し、翌年斬首。

出典:新潮社「新潮日本人名辞典」朝日新聞社「日本歴史人物辞典」