一条天皇(いちじょうてんのう)980年7月15日(天元3年6月1日)〜1011年7月25日(寛弘8年6月22日)
平安中期の天皇。
名は懐仁。円融天皇の第1皇子で母は藤原兼家の娘の女御詮子(東三条院)。25年間の在位は平安期では醍醐天皇に次ぐ長さ。5歳で従兄の花山天皇の皇太子となり,2年後に即位し,外祖父の兼家が摂政となった。
兼家のあと子の道隆,道兼が摂関となったがいずれも短期で死去,道長が姉詮子の後押し(渋る天皇の夜の御殿にまで入って涙ながらに訴えたという)で権力の座についた。長保2(1000)年,中宮に道隆の娘の定子がいた道長はこれを皇后とし,娘の彰子を入れて中宮とし一帝ニ后という前例のないことを出現させた。彰子から後一条,御朱雀両天皇が生まれた。一条天皇は道長と協調して政治を行なったといわれるが,除目などでは道長の専権は著しかった。
天皇自身温雅な性格で才学豊かで笛の名手であり,それを反映して文人,貴族,僧,武士など各界で人材が輩出した。定子,彰子に仕えた清少納言や紫式部をはじめ才媛が出て王朝文学を開花させたのも一条朝である。病を得て寛弘8(1011)年三条天皇に譲位。陵は京都市右京区竜安寺朱山の円融寺北陵。寛弘年間の日記『一条天皇辰記』の存在が知られるが内容は伝わらない。
出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」