斎藤弥九郎

斎藤弥九郎(さいとう やくろう)1798年2月28日(寛政10年1月13日)〜1871年12月6日(明治4年10月24日)

江戸後期の剣術家。

越中国(富山県)氷見郡仏生寺村の郷士斎藤新助道長の長男。

15歳で江戸に出て神道無念流の岡田十松吉15歳で江戸に出て神道無念流の岡田十松吉利に入門,同門の江川太郎左衛門,藤田東湖らと親交を結んだ。

29歳で独立し,江川の援助で九段下に道場練兵館を開いた。

天保6(1835)年江川が伊豆韮山の代官になると,その手代として文武の指導,道路河川の改修,品川御台場の築造などに当たった。このころ渡辺崋山とも知り合い,思想的に尊王攘夷派へと傾いていった。

長男の新太郎(2代弥九郎,1828〜88)が萩で長州藩士の剣術指導をしていたことから,練兵館には長州や薩摩の志士が多く集まり,門下三千余人ともいわれた。

当時盛んになってきた竹刀打ち込みの剣術稽古を採用し,千葉周作の玄武館,桃井春蔵の士学館とともに幕末江戸3大道場のひとつに数えられた。門下から桂小五郎高杉晋作,品川弥ニ郎らが出ている。維新後は会計官権判事,造幣局権判事を務めた。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」