齊藤方策

齊藤方策(さいとう ほうさく)1771年(明和8年)〜1849年11月22日(嘉永2年10月8日)

江戸後期の蘭方医。周防国佐波郡生まれ。

名は淳、字は素行、号は九和、狐松軒など。

大坂で小石元俊に、江戸で大槻玄沢に師事し、大坂(当時は江戸堀5丁目)に蘭方医として開業、おおいにはやった。藍塾という家塾を開いて漢蘭の両医学を教授。文政5年(1822年)のコレラ流行に際しては処方を考案、使用。その後、長州藩医となる。

中天遊との共訳『ヨセフ・バルへイン解剖図譜』(1822年)のほか『海上備要方』の著がある。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」