上杉景勝

上杉景勝(うえすぎ かげかつ)1566年1月8日(弘治1年11月27日)〜1623年4月1日(元和9年3月20日)

安土桃山時代から江戸初期にかけての大名。

はじめ越後,のちに会津,米沢へ移封。実父は長尾政景, 母は長尾為景の娘(上杉謙信の姉)。上田(新潟県南魚沼郡六日町)に生まれる。のち叔父の上杉謙信の養子となる。初名顕景。

天正6(1578)年謙信の死後,もうひとりの養子上杉景虎と家督を争い(御館の乱), 翌年景虎を滅ぼして謙信の跡を継ぎ,春日山に居城を構えた。

14年大坂城で豊臣秀吉に臣従の礼をとり,翌年越後を統一, さらに佐渡も領有した。豊臣政権の大名として, 18年の小田原攻め,翌年の九戸一揆の鎮圧, 文禄1(1592)年の朝鮮出兵にも出陣した。

慶長3(1598)年, 会津へ転封を命じられて120万石の大大名となり,秀吉の死後, 五大老のひとりとして豊臣政権で重きをなした。

5年の関ケ原の戦では石田三成と結び,会津に挙兵したが, 石田方の敗北を知り徳川家康に降伏した。

出羽米沢30万石に減転封を命じられ,米沢城に移った。米沢で死去。織田・豊臣・徳川の3政権を経過して上杉家を戦国大名から近世大名へ脱皮させた人物であったが, 戦国の英雄であった養父の上杉謙信の跡を継ぎ家臣団を統率するのは容易でなかったといわれる。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」