徳川家治(とくがわ いえはる)1737年6月20日(元文2年5月22日)〜1786年9月17日(天明6年8月25日)
江戸幕府10代将軍。
9代将軍家重の長子。生母は梅渓氏の娘お幸(至心院)。幼名竹千代。江戸城西丸で生まれ,祖父吉宗の膝下で養育された。
幼時より文武の才に恵まれ,周囲の期待を集めた。
宝暦10(1760)年5月統,9月将軍宣下。26年間在位したが,この間政治の実権は田沼意次に握られ,その能力を発揮することはたかった。
余暇を趣味の世界に没頭,絵画が得意で, よく自作の絵を諸臣に与えている。
また将棋は奥義を極め,『将棋攻格』という詰め将棋の書を著している。
世嗣家基に先立たれるなど不幸が続き,反田沼派の策謀でその死も直ちに公表されず,田沼失脚後,9月8日に発喪された。葬地は寛永寺。凌明院と諡された。
出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」