河上彦斎

河上彦斎(かわかみ げんさい)1834年12月25日(天保5年11月25日)〜1872年1月13日(明治4年12月4日)

幕末維新期の尊攘派志士。

名は玄明。父は肥後藩(熊本県)藩士小森貞助, 母は和歌。幼少時に河上家の養子となり彦斎と名乗る。のち高田源兵衛と改名。

林桜園の原道館で皇学を修める。

文久2(1862)年細川護美に従って上京,翌年親兵に選ばれたが,8月18日の政変で長州に下った。

「人斬り彦斎」の異名をとり,元治1(1864)年に佐久間象山を暗殺した刺客のひとりでもある。

翌年の第2次長州征討では高杉晋作に協力し,自藩の小倉出兵を中止させようと帰藩して捕らえられた。

明治1(1868)年許されて藩の兵士隊長となるが,長州藩脱隊騒動に関係するなど反体制的言動が問われ,のち東京で刑死した。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」