藤原秀郷(俵藤太)

藤原秀郷(ふじわらのひでさと)生没年不詳

平安中期の東国の武将。

下野守の村雄と鹿島氏の娘の子。相模国田原を領有したことから俵藤太と呼ばれる。

代々下野国(栃木県)に勢力を扶植し, 延喜16(916)年には一族と共に罪を得て流されたこともあるが,のちに下野国の押領使に任じられた。

平将門の乱では将門から助力を求められたが,その軽率な態度をみて応じず,平貞盛に味方して,天慶3(940)年将門を討った。その功で従四位下を与えられ,下野・武蔵守などを歴任し,東国に地盤を固めた。

将門の乱での活躍は『将門記』『今昔物語集』などにみえるが, その勇猛ぶりは室町時代の『御伽草子』に取り上げられ,『俵藤太物語』として実を結ぶ。

大蛇に化けた竜宮の女房に頼まれて近江国(滋賀県)の三上山のムカデを退治し,褒美に竜宮から三井寺の名鐘をもらったという。佐野市の唐沢山神社に祭られている。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」