三島由紀夫

三島由紀夫(みしま ゆきお)1925年(大正14年1月14日)〜1970年(昭和45年11月25日)

小説家。

本名平岡公威。東京生。梓・倭文重の長男。東京大法学部卒。

学習院中等科の頃より文芸部で活動、学内の「輔仁会雑誌」に詩歌・小説・戯曲等を発表、文才を注目される。

昭和十六年には、和泉式部の研究家で国語担当の師清水文雄の推薦で、三島由紀夫の筆名のもとに日本浪曼派系の同人誌「文芸文化」に、小説『花ざかりの森』を発表。昭和十九年には小説五篇をまとめて第一創作集『花ざかりの森』を七丈書院より出版。この年東京帝国大学法学部に入学するが、戦中戦後の混乱期にも創作を続け、『中世』(昭20〜21)『岬にての物語』(昭21)などを執筆。

終戦翌年には川端康成の知遇を得て、鎌倉文庫刊行の「人間」(昭弘21・6)に『煙草』が掲載されて、戦後文壇に登場。昭和二十二年大学を卒業し、大蔵省事務官に任官。

翌年九月には二重生活が限界にきて大蔵省をやめ、作家生活に専念して、十一月には書き下ろし長篇小説『仮面の告白』を起稿、昭和二十四年七月に刊行されて大きな反響を呼んだ。引き続き『愛の渇き』(昭25)『青の時代』(昭25)と意欲作を発表する一方、『純白の夜』(昭25)など女性向けのエンタテイメントも手がけはじめた。

昭和二十三年にはまた第一戯曲『火宅』を書き、以後劇作にも取組むことになる。昭和二十六年十二月から五か月間、朝日新聞特別通信員の資格で、北米・南米・欧州に遊ぶ。『アボロの杯』(昭27)はその折の紀行文集であるが、ギリシャの旅はとりわけ強い印象を残した。以後、『禁色』(昭26。第二部『秘薬』は昭28)『潮騒』(昭29)『沈める滝』(昭30)『金閣寺』(昭31)『美徳のよろめき』(昭32)『鏡子の家』(昭34)と年ごとに話題作を発表、また『小説家の休暇』(昭30)『裸体と衣懐』(昭34)などの評論を書き、多忙な作家生活を展開。この間『夏子の冒険』(昭26)『潮騒』『永すぎた春』(昭31)『金閣寺』などの映画化、また『邯解」(昭25)執筆にはじまる『近代能楽集』(昭31)『若人よれ』(昭29)『白蟻の巣』(昭30)『鹿鳴館』(昭31)などの上演。

また、ボディ・ビル、剣道などの肉体訓練を行うなど、ジャーナリスティックな話題の中心となった。

昭和三十三年には川端康成の媒的により、杉山家の長女瑶子と結婚。社会は経済の繁栄期に向かってゆくが、昭和三十五年には日米安全保障条約の反対運動が全国を席捲、この政治的季節に立ち会って、翌三十六年には『憂国』を発表、この頃より徐々に政治的行動に傾斜する内的な転機が訪れる。『林房雄論』(昭38)を書いて文学と政治との相剋を考察。

昭和四十二年には陸上自衛隊に体験入隊、祖国防衛の理念を固めて「楯の会」を結成。『わが友ヒットラー』(昭43)発表。『文化防衛論』(昭44)などの思想表白を活発にした。

一方、『太陽と鉄』(昭43)などの哲学的自叙伝を執筆、あらかじめ自己の作家的生涯の決算を行ったかの趣がある。さらに昭和四十年九月より、ライフワーク『豊饒の海』の連載を開始、全四巻は昭和四十五年十一月二十五日、自決の日に完結。

出典: 明治書院「日本現代文学大辞典」