寛永の大飢饉

1641年〜1642年(寛永18年〜19年)の凶作による江戸時代最初の大飢饉。江戸四大飢饉の一つ。

1641年に大飢饉が起きる前の1630年代から慢性的な農民の疲弊、それによる農地の荒廃現象がみられていた。そして1637年に起こった島原の乱により、九州を中心として大量の兵粮と軍役の徴発・動員がなされ、農村の疲弊状況をさらに深刻化させた。1640年には、西日本を中心として全国的に牛疫病が流行、九州では大量の牛死が発生し、農耕に甚大な影響を与えた。そして翌1641年には、西日本では干ばつ、さらには虫害の被害をうけ、北陸・関東・東北地方では長雨と冷気による冷害に襲われ、全国的な大凶作となった。