徳川家綱

徳川家綱(とくがわ いえつな)1641年9月7日(寛永18年8月3日)〜1680年6月4日(延宝8年5月8日)

江戸幕府第4代将軍。

3代将軍家光の長男,生母はお楽の方(増山氏)。幼名竹千代。

正保1回1(1644)年家綱を名乗り,慶安4(1651)年11歳で父家光の跡を継いで将軍職につく。

幼少のため保科正之らの補佐を受けた。当初は由比正雪事件や浪人の騒動など不穏な事件が相次いだが,正之や家光以来の老中らの合議による政治運営の体制がほぼ確立していたため,政治的混乱はそれほどみられなかった。

幕府の諸制度はいわゆる寛文・延宝期に大幅に整備され,幕臣の再編成や,商品経済への積極的な対応策として枡や秤の統一や市場の調査などが実施された。

しかし幼少より病弱であった家綱自身は,結局政治を主導することなく,延宝8(1680)年在職30年,40歳で死去し,東叡山寛永寺に葬られた。

院号厳有院。家綱には実子がなく末弟の綱吉が館林藩から迎えられ,将軍職を継承した。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」