徳川家重(とくがわ いえしげ)1712年1月28日(正徳1年12月21日)〜1761年7月13日(宝暦11年6月12日)
江戸幕府9代将軍。
8代将軍吉宗の長子。生母は大久保氏の娘おすま(深徳院)。幼名長福。
紀伊国和歌山に生まれ,父が紀州家から将軍家を継くぐのに伴い江戸城に移り,世嗣となり,室鳩巣らの教育を受ける。
延享2(1745)年9月継統,11月将軍宣下。
在位16年にして世嗣家治に代を譲り,翌年死去。増上寺にて葬る。論号停信院。病弱で,政治は老中松平武元らに任せきりであった。
日ごろ大奥にいることが多く,その言行を知る人は稀であったという。また言語に障害があり,側衆の大岡忠光のみがこれを解したといわれている。
出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」