小野小町(おののこまち)生没年不詳
平安時代の歌人。六歌仙,三十六歌仙のひとり。
出羽郡司小野良真出羽郡司小野良真の娘で小野篁の孫などと伝えられているが疑わしく,小野氏出身というほか,その履歴はほとんど不明。
『古今集』には安倍清行,小野貞樹,文屋康秀との贈答,『後撰集』には遍照との贈答がみられ,仁明朝(833〜850)の宮延に仕えたと推測される。
『古今集』時代に先立って華麗な技巧と大胆な着想に富む新風の和歌を生み出した優れた歌人のひとりであり,同集には「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」をはじめ18首が入集。その仮名序で「よき女の悩める所あるに似たり」と評されるように,女の立場から情熱的に詠んだ恋の歌に特徴があり,平安女流文学の原点ともいうべき存在である。
その作には漢詩の表現が多く取り入れられており,中国文学の豊かな知識を持つ教養ある女性であったことが知られる。
また,早くからその姿はさまざまに説話化され,すぐれた歌人としてとして歌徳説話が,『伊勢物語』に小町の歌が用いられたことから色好みの女性という小野像と在原業平との恋愛譚が,平安後期成立の『玉造小町荘衰書』の主人公との混同から小町衰老説話が,それぞれ生み出され,それらが無常思想と複合して,驕慢な美人がやがて衰えついには髑髏と化かすという小町伝説へと発展した。現存する『小町集』は説話化の影響を受けた後人の擬作。
出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」