沖田総司

沖田総司(おきた そうじ)1842年(天保13年)〜1868年7月19日(明治1年5月30日)

幕末維新期、白皙の天才的美剣士とうたわれる新選組一番隊隊長。

名は房良、幼名宗治郎。陸奥白河藩士の子。

近藤勇の試衛館道場に出入りし、天才的剣士と称された。近藤、土方歳三らと上洛し、近藤の新選組創設に加わり副長助勤、一番隊隊長、剣術師範頭となる。

池田屋の斬り込みで活躍。参謀山南敬助の脱走罪による切腹を介錯。明治1年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いには労咳のため参加せず、江戸引き揚げ後は、神田和泉橋の医学所や今戸八幡の松本良順宅で療養。千駄ヶ谷池尻橋の植木屋五郎宅の納屋で死んだといわれている。

出典:新潮社「新潮日本人名辞典」朝日新聞社「日本歴史人物辞典」