中岡慎太郎

中岡慎太郎(なかおか しんたろう)1836年5月6日(天保9年4月13日)〜1867年12月12日(慶応3年11月17日)

幕末の尊攘・討幕派の志士,土佐(高知)藩郷土。

大圧屋中岡小伝次の子,母は初。

安政2(1855)年武市瑞山の道場に入門し坂本龍馬を知り,また真崎滄浪に経史を学ぶ。同4年,大圧屋見習となり結婚。

文久1(1861)年土佐勤王党の血盟文に署名。翌年10月五十人組結成に参加,江戸に赴き山内豊信の警護に当たった。翌3年4月帰郷,藩庁による尊攘派の弾圧が始まり脱藩,長州に入り,三条実美らの護衛に当たる。

翌元治1(1864)年6月上洛,長州軍の一員として禁門の変に参加。その後長州軍藩に逃れ忠勇隊の隊長となる。同隊は脱藩浪士を構成員とする長州藩諸隊のひとつ。以来,下関,大阪,京,太宰府,長崎,鹿児島と歩き,この間,竜馬と共に薩長の和解工作に尽力する。

慶応1(1865)年冬『時勢論』を土佐の同志に送り,こう予言した。「自分以後,天下を興さん者は必ず薩長両藩なるべし。……天下近日の内にニ藩の命に従ふこと鏡に掛けて見るが如し。」同3年2月,脱藩の罪を許され,土佐藩より陸援隊隊長に任命される。竜馬の海援隊に対しての陸援隊である。5月21日,板垣退助西郷隆盛に引き合わせ,談は武力討幕におよんだ。6月22日,薩土盟約諦結に立ち会う。京白河で討幕の日に備えていた同年11月15日,刺客に襲われ負傷,17日に絶命した。年30歳。

出典: 朝日新聞社「日本歴史人物辞典」